男と女

今月は予告通りなら美術評論メインになる筈だったが、ナチの黒服がどうたらこうたらとかなりくだらない話題と変態談義で二週間も時間をつぶしてしまった。
今月の更新も残すところあと一週間になってしまったが、久し振りに美術評論に戻りたいと思う。
先月からインサイダーアートとアウトサイダーアートを巨人や阪神に例えたりしてきたが、誰にでもわかる例えにすると、オーバーグラウンドのインサイダーアートが男で、アンダーグラウンドのアウトサイダーアートが女になると思う。
インサイダーが男社会なら男はインサイダーだが、男社会では女はアウトサイダーである。男が身体目当てで女に近づくことはあっても逆は殆どないように、インサイダーアートがアウトサイダーアートにすり寄ることはあっても、アウトサイダーは基本的にインサイダーには無関心である。何故こうも執拗にインサイダーアートがアウトサイダーアートにすり寄るのか自分には理解不能である。
力量関係でいえば女より男の方が力は強いが、美術市場もアウトサイダーアートよりもインサイダーアートの方が上である。アウトサイダーアートをインサイダーアートに引き込もうとするのは、女は力が弱くて可哀想だから、名誉男性として扱ってあげましょうといってるように見える。
女に向かってそれをいえばまちがいなく侮辱になるが、男が女を侮辱するように、インサイダーアートがアウトサイダーアートを侮辱することがまかり通っているのを腹立たしく思う。
傲慢な健常者に消毒された、毒気のない健全なエイブルアートやボーダーレスアートには何の魅力も感じない。
非力な女には武骨な男にはない美しさがあるように、アウトサイダーアートにはインサイダーアートにない美がある。天に輝く星を木枠にはめて部屋には飾れないように、アウトサイダーアートの美もインサイダーアートの枠にはめられてしまうとその輝きを失ってしまう。
もとい木枠にはめて飾れない星を飾ろうとしたり、飲めない逃げ水を飲もうとしてきた、不毛な努力の産物がインサイダーアートだろう。現代アートはまさしくインサイダーアートの不毛な努力の袋小路ともいえる。
アウトサイダーアートは、インサイダーアートのように木枠にはめて飾れない天の星である。

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