※今回の記事は2015年9月4日に公開した記事の再録です。
北の国から
本当にあった怖い話最終話は祖母から母が聞いた話を、祖母の死後、母から聞いた話である。他人が聞いてもどうということもない話だが、自分にとっては出生の明暗を分けた話である。話は戦前まで遡る。
父の一家は戦前、一時期北朝鮮に住んでいたこともあったそうだ。
北朝鮮にいた頃は小さな駄菓子屋を営んでいたそうだが、商売は振るわず、朝鮮人の使用人が釣り銭をちょろまかすわ、幼少時代は病弱だった父はしょっちゅう具合が悪くなるわで、要するに北朝鮮にいてもいいことひとつもなかったので、父の健康を考えて、一家は樺太に戻ったそうだ。
今にしてみれば祖母の判断が、終戦後明暗を分けることになる。
終戦後、父の一家は樺太から北海道に引き揚げるのに、2年の月日を要したが、北朝鮮にいたら、そもそも生きて帰ってこられたかどうかすらわからないのだ。
だから自分にとっては北朝鮮の拉致被害者は決して他人事とは思えないのである。 もし父が丈夫な子供であのまま北朝鮮に留まっていたら・・・((((;゜Д゜)))ガクガクブルブル

※明日は更新お休みします。次回の更新は31日(日)の早朝になります。

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北朝鮮にそのまま居残っていたら生きては帰れなかったかもです。
樺太、北海道に移られたのは大正解です。
作家の五木寛之さん一家が平壌に住んでおられて、敗戦後すぐに韓国側に逃げて命からがら日本に引き揚げてこられたようです。
政府は混乱を避けるためか住民に敗戦後も平壌に残るような事を言っていて、それを信じた人達はほぼ全て殺されたんだそうです。
五木さんは今でも政府のいうことを鵜呑みにしてはいけないといっておられます。
「自分の身は自分で守らないといけない」と言っておられたのが印象的でいまでもその事をおぼえています。
マルさん、おはようございます\(^o^)/
そうですね。あのまま北朝鮮にいたら恐らく生きて帰れなかったでしょう。
このときばかりは父の病弱が身を救ったと思います。
終戦まで朝鮮半島に残っていた日本人は悲惨な末路だったと聞きますしね。
本文には書いてない話ですが、朝鮮人は支配者が変わる度にそれまで信仰していた神さまを捨てていたので、朝鮮半島からは神さまがいなくなってしまったそうです。
朝鮮半島はいわばケガレチともいえますが、ケガレチでは何故か作物が育たないそうです。
そうゆう意味ではスティーブン・キングの怪奇小説に出てきた、人食い鬼ウエンディゴがやってきて土を腐らせてしまった呪われた墓地と同じような土地とも思えます。
幼かった父がケガレチの悪い気を感じ取って具合が悪くなってしまったのもわかるような気がします。
人の運命はどこで変わるかわかったものではなりませんね。本当に怖い話です。
しかし樺太からの引き上げも命からがらだったことでしょう。いずれにしても祖国が戦争に負けると外地にいる邦人は辛酸を舐めねばならないということが如実にわかります。私の父親も、祖父が出雲大社の神官を務めていた関係で朝鮮半島から北京を順にわたり、伯母は今の北朝鮮で。父は北京で生まれました。
敗戦後の引き上げはそれなりに大変だったそうですが(日本人に対する暴力、時には殺人もあった由)、父の一家は家にいた中国人の雇人がいい人で安全に逃がしてくれたと言ってました。
状況によっては父も伯母も「中国残留孤児」になっていたかもしれません。そしたら私はこの世にいなかった…。
見張り員さん、おはようございます\(^o^)/
見張り員さんのお父さんは北京でお生まれになったんですね。
自分の父親は生まれが樺太で北朝鮮には一時期いただけらしいですが、北朝鮮は空気があまりよくないみたいなこと聞きましたね。
父が樺太から北海道に引き揚げるのにも、終戦から2年かかったと聞きますが、中国大陸からの引き揚げは想像以上に大変だったと聞きます。
戦争に負けると外地の邦人は辛酸を舐めさせられるということが痛いほどわかりますね。
見張り員さんのご家族も相当な修羅場を体験されてるんですね。
その話見張り員さんのブログでも描かれてみたらどうでしょう。
自分は見てみたいです。
まぁ、移民として送り出される時には夢物語のように「素晴らしい国で素晴らしい人生が待ってる」とかってうたってたみたいですからねぇ。
実際はそれとは真逆で過酷な所が多かったみたいですから(・。・)
日本の政府も送り出される相手の国の政府としても、いい加減で雑な対応してたのでしょうねぇ~。
でも、行った国によって環境は違いますから、なんとかやっていけるか、いけないかってのは大きく分かれてくる事でしょうね。
ハズレくじをひいてしまったとなると、ホント大変だったでしょうねぇ。
でも生き残れた人は、幸運だったのでしょうね(>Д<)
ほんちくんのお父さんは波瀾万丈の人生だったのですね。北朝鮮から引き揚げて来られたのはある意味奇跡かもですね。樺太は当時のソ連が色々して大変だったと三浦綾子さんの本にありました。また、五木寛之さんのお母さんは悲惨な亡くなられかたをしたと五木寛之の本にあります
相葉ちゃんの言うには、中国に戦後ノコッタ女性達がソ連軍に酷いことをして、妊娠した人で日本に帰って来た人は、九州の福岡のある病院で堕胎したそうです。ソ連へいの子をレイプして妊娠したんですからね。もし、当時産んでいたとしたらどうなっていたのでしょうか。アメリカ軍の兵士と恋愛して子供を産んだのとは違うんてすよ。愛してもいない行きずりのソ連兵ですよ。薫子なら舌かんで死にますね
人の運命はどこでどうなるか分からないものですね・・・
その時そのまま元気で北朝鮮にいたら、
ここにponchさんはいなかったかもしれないし、
ご家族ももう既にいなかったかもしれないですよね(>_<)
ponchさんは今日か明日あたりから仙台旅行ですよね。
是非ともリフレッシュして暑い8月に向けて英気を養ってきて下さいね。
旅行記等楽しみにしています~(特に食べ物w)
どこかの記事で書かれていましたね(どこだったか忘れてしまいました、すみません…)
御父上が北朝鮮に在住されていたと
今の北朝鮮は他の国を敵に回すことしか考えていないと思いますが、
昔はどうだったのでしょうね
なるほど…
朝鮮の空気がどんなものかわかりませんが、
合わない空気というものがありますからね(>_<)
健康のため、故郷に戻ったのは正解だと思います
間接的に加害者になってしまいますもんね(:_;)
自分がやっていなくても、そういう気分になると思います
よしおさん、こんにちは(・∀・)ノ
父が北朝鮮にいたのは一時期だったようですが、話を聞いた限りでは空気があまりよくなかったようですね。
父の一家はすんでのところで外れクジを捨てられてよかったと思います。
薫子さん、こんにちは(・∀・)ノ
引き揚げてきたのは樺太からですよ。北朝鮮には一時期いただけです。
中国大陸や朝鮮半島からの引き揚げは地獄そのものだったと聞きますね。
福岡のある病院って二日市保養所のことでしょうか。
敵兵にレイプされてできた子供を堕胎するのに、当時の政府は特例措置として堕胎罪を撤廃したと聞きますが、現在の女性の自由がそのような犠牲の上に成り立ってるとしたら複雑な心境になりますね。
りえ太さん、こんにちは(・∀・)ノ
そーですね、父が終戦まで北朝鮮にいたら、自分も将軍さま
マンセーしてたかもしれません(;´∀`)
明日から仙台旅行に行ってきます。旅行中に旅行先で食べたものを
ブログに公開したいと思います。来月の更新をお楽しみにッッ\(^o^)/
あにまるあみまるさん、こんにちは(・∀・)ノ
ああ玉葱ハンターさんの絵の記事ですね。
今の北朝鮮で日本領時代の方がよかったなどといって殴り殺された
という脱北者の証言もあるくらいですから、当時の北朝鮮に関して
は知る術が無いですよねー。
話を聞いた限りでは、寒い上に澱んだ空気だったようですが、
空気が合わないというのは致命的なので、樺太に戻ったのは
英断だったと思います。
そーですね、中国残留孤児もそのことで相当イヤな思いをしたと
聞きますが、それだけに中国人の残留邦人詐欺は赦しがたいと思います。
もしその判断をしていなかったらとい思うと
想像するだけでもおっかないですね
2年って期間もそのまま残留して
住み続けていたかもしれない可能性を考えると
むしろその年数で助かったって思えてしまいますね
サムネが一瞬鬼太郎の家かと思ってしまいました(笑)
荒ぶるプリンさん、こんばんわ(・∀・)ノ
ですよねー祖母の樺太に戻るという判断が無ければ、
生きて帰れなかったのではないかと思います。
そうですね、シベリアの抑留者の話を聞いてると、
2年で帰れたのはむしろ運がいい方ではないかと思います。
いわれてみれば、似てるかもしれませんねー(´・ω・`)
おばあちゃんは大英断を下されましたね。日本に引き揚げてこなかったら、おそらくポンちゃんは生まれていなかったかも。私は千葉県生まれですが、高校の時、歴史の先生にもし米軍の九十九里上陸作戦があったらここにいるほとんどの生徒は生まれていなかったはず、という話を思い出しました。おばあちゃんに感謝してください。
おっちゃん、こんばんわ(・∀・)ノ
そうですね、祖母の英断が無ければ、自分は今ここにいなかったかもしれませんね。
祖母には改めて感謝したいと思います。
おっちゃんは千葉県出身なんですか。千葉県には姉夫婦と親戚が
いるので、何だか親近感を感じますね。
本当に少し判断が違っていたら、
生まれていなかったとなるのでそこが怖いところですね~。
大陸から引き揚げる際にも大変だったという話が多いですし、
もしそのまま北朝鮮にいたら……と思うと、
樺太に移ったというのは正解でしたね(´∀`)
お父様が体が弱くて助かった、ほんとものは考えようですね。
人の運命とは凄いです。
あのまま北朝鮮おられたらponchさんもおられなかったってことですよね。
うわぁ~(´;ω;`)
僕のおじいさんはソ連に捕まってシベリアで働かされていたみたいです。
無事、生きて日本に帰ってきましたがそこで亡くなっていたら僕もこの世に存在しなかったわけです。
もう少しで終戦記念日なのでこういう尊い話も大事ですね。
ツバサさん、こんばんわ(・∀・)ノ
そーですね、判断を誤ってあのまま北朝鮮に留まっていたら、
多分自分はここにはいないと思います。
実際大陸や朝鮮半島からの引き揚げは地獄そのものだったと聞きますしね。
何より現実はゲームとちがってリセットできないのが恐ろしいと思います。
たらこさん、こんばんわ(・∀・)ノ
そうですね、当時の父は幼かった故に北朝鮮の危険な空気を
文字通り体感して具合が悪くなってしまったのではないかと思ってます。
たらこさんのお祖父さんも壮絶な体験をされたんですねー。
壮絶な修羅場を潜り抜けてきた引き揚げ世代には頭が上がらないですよねー。
来月の終戦記念日に戦争と平和を考えるにあたって、こういった
戦時世代の体験談も貴重だと思います。