松井冬子とは何だったのか
※この記事は2015年9月17日に公開した記事を加筆再編集しました。
※反論や匿名のコメントも受け付けてますが、荒らし対策に特定の言葉を禁止ワードにしてるので、節度ある投稿をお願いします。
※記事とは無関係な誹謗中傷のや「あ」などといったふざけたHNの投稿は悪意あるコメントとして削除させてもらいます。

松井冬子は美人なのに気持ち悪い絵を描いているので有名な日本画家である。
以前からパクリ疑惑が取りざたされるいわくつきの日本画家でもあるが、近年では大阪万博で再注目されてるようである。
男性陣のなかには「ブスが気持ち悪い絵を描いていたら普通に気持ち悪いが、美人があんな気持ち悪い絵を描いてるギャップがいい」みたいな評価があったが、絵って顔で描くもんじゃないだろ。こいつは大多数の女にケンカを売っているのか。
だいたい絵描きというのは、自分も含めて大多数が不細工ばかりで、松井冬子のような美人は稀有な存在である。
だからこそ世間では松井冬子が美人画家として持て囃されてるのだろうが、彼女が障害持ちでコミュ障のブスでも人気が出ていたかどうか疑問である。
もし自分が松井冬子のような美人だったとしても、自分の下手くそな絵が売れてるとも思えないが、松井冬子が障害持ちでコミュ障のデブスだったら誰からも相手にされなかったんじゃないかと思う。

松井冬子は近年は大阪万博で再び脚光を浴びているようだが、基本的に彼女に対する評価は5年前と変わってないし、変えるつもりもない。
松井冬子は美人だと思うが、絵に関しては上村松園の絵を見た後に松井冬子の絵を見ると、どうしても見劣りして見えてしまう。
松園の絵には優美で幽玄な美しさがあるが、彼女の絵にはそれがない。松園の絵からはゾッとするような女の情念を感じるが、彼女の絵にはそれも感じない。松井冬子からは松園の二番煎じという感想がわいてしまう。
日本画家で浮世絵や血みどろ絵で有名な河鍋暁斎もいるので、血みどろ絵そのものを否定するつもりは毛頭ないが、松井冬子の絵は日本画というより、ネットに流布している露悪的なリョナグロ絵に近いものを感じる。
マンガ家の丸尾末広も花輪和一もエログロマンガや血みどろ絵を描いているが、先達の丸尾末広や花輪和一を先に見てしまうと、どうしても陳腐に見えてしまう。
人にはない芸術の才能をアピールする芸能人は少なからず見かけるが、自分が見た限りでは芸能人のネームバリューがなければ誰にも見向きされないような絵が大半である。
最近では二科展が芸能人の展覧会になってると揶揄されてたが、松井冬子の絵も芸能人の展覧会と揶揄される二科展と同じようなものを感じる。

松井冬子の絵を見ていると癒されるという女性もいたが、自分は彼女の絵を見てもメンヘラのかまってちゃんにしか見えない。
松井冬子の絵を見て癒されるという人間は、彼女が自分の自傷の代弁者だからこそ癒されるのかもしれないが、ボダの被害に遭ったことのある自分は、他人のリスカを見せられてもウザいとしか感じないし、他人のリスカに共感できない人間には気持ち悪さしか感じなかった。
草間彌生が分裂気質の絵なら、松井冬子はメンヘラ気質の絵である。
草間彌生の絵はガン細胞のようにじわじわ臓腑や骨の髄を侵食していくような不気味さがあるが、松井冬子の臓腑をさらけ出した絵は、ガチでおかしい自分の目から見ると、メンヘラのパフォーマンスのように見えてしまう。
草間彌生の天然痘のような赤いブツブツの水玉は、触ると赤いブツブツが身体にも拡がって身体中をかきむしりたくなるような狂気にかられるが、松井冬子の絵にはそのような狂気を感じない。

松井冬子の絵に共感するのは、定型発達のメンヘラだと思うが、発達障害の自分は松井冬子の絵を見ても癒されないし、共感もできなかった。
発達障害の自分は草間彌生の不気味な水玉模様の絵の方がずっと共感できる。
画家だったら自分の画力だけで勝負しろよ
松井冬子はメンヘラ気質の痛い女に好まれ、草間彌生はガチでおかしい女に好まれる。

松井冬子を見て感じたのは鳥なき里の蝙蝠だろうか。松井冬子には盗作疑惑も取り沙汰されているが、自分が絵を見た限りでは凡庸というか飛び抜けた才能は感じない。
実際絵のイメージも青空を飛ぶ鳥というより、洞窟を飛ぶ蝙蝠という感じだが、現在の日本画壇に鳥がいないから蝙蝠が持て囃されてるのかなと思った
正直なところ松井冬子の絵が現在の日本画を代表する絵とは思えず、不気味な絵を描く美人画家という奇抜さで、画壇から神輿のように担ぎ上げられてしまっているように感じてる。
美人というだけで持ち上げられてる芸術家などを見てると、作品よりも容姿で判断されてしまう女は社会では男より下位の存在として扱われているのを感じる。
男なら作品で判断されるので本人の美醜が問われることはないが、女が本人の美醜で作品の良否が判断されてしまうのは、女が社会的に男より下位の存在として扱われてることの証左に他ならないだろう。
一番残念なのは、美人画家という肩書は若いうちしか使えないということだと思う。
実力以上に持ち上げられてしまった美人を見ていると気の毒に感じてしまうが、彼女が稀代の美人画家として歴史に名を残すか、凡庸な美人画家として歴史の表舞台から姿を消すかは、歴史が証明するのを待つしかないと思う。
下記のツイートが松井冬子の作品を如実に語ってるが、作品より作者が面に出過ぎて、観覧者の解釈の自由を妨げてしまっているのは致命的だと思う。
自分も平和主義を批判した絵が、左翼お得意の反戦を描いたみたいな曲解をされて口論になったことはあるが、パクチー盗まれたつるの剛士のツイートを曲解して「外国人差別だ」と騒ぐパヨチンはは論外としても、作品に関しては他人がどう思うかまでは変えられないので、表現の自由と同時に解釈の自由もワンセットだと思う。
この記事書いたのは今から5年前になるが、松井冬子が美人画家として脚光を浴びたのはもう十年以上前である。
この記事書いてから5年間でいろいろな人からコメントをもらったが、頭おかしいとかこちらの容姿を中傷するようなコメントももらったので、やはり松井冬子のファンも残念な人ばかりだということがわかった。
大阪万博で再度脚光を浴びているせいか、今年もクソ※をもらったが、SNS全盛時代に昨年度で更新終了した個人ブログの5年前の記事にわざわざクソ※残すなんてひまな奴もいるもんだなと思った。
作家の質はファンの質で判断されてしまうが、作家本人がどんなに素晴らしい作品を作っていても、ファンが残念だと作家本人も残念な作家に見られてしまうものである。残念な美人には残念なファンしかつかないという証左に他ならないだろう。
松井信者の皆さんコメントありがとうね。あんたらのおかげで松井信者も残念な人ということがよくわかったわ(゚д゚)、ペッ
徹頭徹尾醜態を晒して幕を閉じたあいちトリエンナーレの『表現の不自由展』と同じ轍を大阪万博も踏むことになりそうである。
同じ理由で百田尚樹も信者が集団でアンチの元に押し寄せて集団で叩くという基地外ぶりを何度も目の当たりにしてるので、百円ハゲも思い切り嫌いになったわ。
百円ハゲの場合はエゴサーチで自分に批判的なツイートを晒しリツイートして信者を特攻させるので悪評が高いが、そうでなくともパクリのコピペ小説しか書けない小説もツイートも残念なハゲを好きになれる要素はひとつもない。
※ホスト:KD106166231024.ppp-bb.dion.ne.jp
ホスト:KD106156147031.ppp-bb.dion.ne.jp
貴殿からのコメントは迷惑コメントとして通報の上、IPを公開させてもらいました。
今後も悪意あるコメントには厳格に対処させてもらいます。
今年もこの再録記事にコメントくれた人がいたので、IP付の特別扱いで特別公開させてもらいまーす(´・ω・`)
おら、お前らだけ特別扱いでコメント紹介してやったんだから少しは感謝しろよクソが(゚д゚)、ペッ


5年も前の記事にコメントありがとうねー(´・ω・`)
嬉しくなっちゃったから、あんたらだけ特別扱いで、IP付で紹介させてもらうわー(´・ω・`)
何か去年と今年の荒らしコメントのプロバイダが同じだけどこいつら同一人物?
IP付で紹介されたくない人は、節度あるコメントお願いねー(´・ω・`)
節度あるコメントでも「あ」 とか「うわあ」みたいなふざけた捨てハンは削除させてもらってるから注意してねー(´・ω・`)
匿名希望の方は名前欄には何も書かないで投稿してねー(´・ω・`)
※最後の言葉は品性下劣な言葉が入っていたので伏せ字にさせてもらいました(´・ω・`)
ブログ開設してから5年間にもらったクソ※っていずれも松井冬子の記事なんだけど、松井冬子さんもずいぶんクソみたいに素晴らしいファンをお持ちのようですね。
松井冬子には特に何の恨みもないけど、ファンがクソだと本人も自ずと嫌いになるよね。
若くして死んだせいかやたらと美化されてるけど、似たようなパターンで尾崎豊も痛いファンばかりだったので、本人も嫌いになったわー(´・ω・`)
言論の自由を行使するのはいいけど、こちらにもコメントを選別する自由はあるので、節度あるコメントをお願いねー(´・ω・`)
それでは今日もおやすみっこ(つ=^ω^=)つニャン


クソみたいな記事にはクソみたいなコメントつくよねッッと思った方はポチッとお願い(つ=^ω^=)つニャンッッ
※反論や匿名のコメントも受け付けてますが、荒らし対策に特定の言葉を禁止ワードにしてるので、節度ある投稿をお願いします。
※記事とは無関係な誹謗中傷のや「あ」などといったふざけたHNの投稿は悪意あるコメントとして削除させてもらいます。

松井冬子は美人なのに気持ち悪い絵を描いているので有名な日本画家である。
以前からパクリ疑惑が取りざたされるいわくつきの日本画家でもあるが、近年では大阪万博で再注目されてるようである。
男性陣のなかには「ブスが気持ち悪い絵を描いていたら普通に気持ち悪いが、美人があんな気持ち悪い絵を描いてるギャップがいい」みたいな評価があったが、絵って顔で描くもんじゃないだろ。こいつは大多数の女にケンカを売っているのか。
だいたい絵描きというのは、自分も含めて大多数が不細工ばかりで、松井冬子のような美人は稀有な存在である。
だからこそ世間では松井冬子が美人画家として持て囃されてるのだろうが、彼女が障害持ちでコミュ障のブスでも人気が出ていたかどうか疑問である。
もし自分が松井冬子のような美人だったとしても、自分の下手くそな絵が売れてるとも思えないが、松井冬子が障害持ちでコミュ障のデブスだったら誰からも相手にされなかったんじゃないかと思う。

松井冬子は近年は大阪万博で再び脚光を浴びているようだが、基本的に彼女に対する評価は5年前と変わってないし、変えるつもりもない。
松井冬子は美人だと思うが、絵に関しては上村松園の絵を見た後に松井冬子の絵を見ると、どうしても見劣りして見えてしまう。
松園の絵には優美で幽玄な美しさがあるが、彼女の絵にはそれがない。松園の絵からはゾッとするような女の情念を感じるが、彼女の絵にはそれも感じない。松井冬子からは松園の二番煎じという感想がわいてしまう。
日本画家で浮世絵や血みどろ絵で有名な河鍋暁斎もいるので、血みどろ絵そのものを否定するつもりは毛頭ないが、松井冬子の絵は日本画というより、ネットに流布している露悪的なリョナグロ絵に近いものを感じる。
マンガ家の丸尾末広も花輪和一もエログロマンガや血みどろ絵を描いているが、先達の丸尾末広や花輪和一を先に見てしまうと、どうしても陳腐に見えてしまう。
人にはない芸術の才能をアピールする芸能人は少なからず見かけるが、自分が見た限りでは芸能人のネームバリューがなければ誰にも見向きされないような絵が大半である。
最近では二科展が芸能人の展覧会になってると揶揄されてたが、松井冬子の絵も芸能人の展覧会と揶揄される二科展と同じようなものを感じる。

松井冬子の絵を見ていると癒されるという女性もいたが、自分は彼女の絵を見てもメンヘラのかまってちゃんにしか見えない。
松井冬子の絵を見て癒されるという人間は、彼女が自分の自傷の代弁者だからこそ癒されるのかもしれないが、ボダの被害に遭ったことのある自分は、他人のリスカを見せられてもウザいとしか感じないし、他人のリスカに共感できない人間には気持ち悪さしか感じなかった。
草間彌生が分裂気質の絵なら、松井冬子はメンヘラ気質の絵である。
草間彌生の絵はガン細胞のようにじわじわ臓腑や骨の髄を侵食していくような不気味さがあるが、松井冬子の臓腑をさらけ出した絵は、ガチでおかしい自分の目から見ると、メンヘラのパフォーマンスのように見えてしまう。
草間彌生の天然痘のような赤いブツブツの水玉は、触ると赤いブツブツが身体にも拡がって身体中をかきむしりたくなるような狂気にかられるが、松井冬子の絵にはそのような狂気を感じない。

松井冬子の絵に共感するのは、定型発達のメンヘラだと思うが、発達障害の自分は松井冬子の絵を見ても癒されないし、共感もできなかった。
発達障害の自分は草間彌生の不気味な水玉模様の絵の方がずっと共感できる。
画家だったら自分の画力だけで勝負しろよ

松井冬子はメンヘラ気質の痛い女に好まれ、草間彌生はガチでおかしい女に好まれる。

松井冬子を見て感じたのは鳥なき里の蝙蝠だろうか。松井冬子には盗作疑惑も取り沙汰されているが、自分が絵を見た限りでは凡庸というか飛び抜けた才能は感じない。
実際絵のイメージも青空を飛ぶ鳥というより、洞窟を飛ぶ蝙蝠という感じだが、現在の日本画壇に鳥がいないから蝙蝠が持て囃されてるのかなと思った
正直なところ松井冬子の絵が現在の日本画を代表する絵とは思えず、不気味な絵を描く美人画家という奇抜さで、画壇から神輿のように担ぎ上げられてしまっているように感じてる。
美人というだけで持ち上げられてる芸術家などを見てると、作品よりも容姿で判断されてしまう女は社会では男より下位の存在として扱われているのを感じる。
男なら作品で判断されるので本人の美醜が問われることはないが、女が本人の美醜で作品の良否が判断されてしまうのは、女が社会的に男より下位の存在として扱われてることの証左に他ならないだろう。
一番残念なのは、美人画家という肩書は若いうちしか使えないということだと思う。
実力以上に持ち上げられてしまった美人を見ていると気の毒に感じてしまうが、彼女が稀代の美人画家として歴史に名を残すか、凡庸な美人画家として歴史の表舞台から姿を消すかは、歴史が証明するのを待つしかないと思う。
下記のツイートが松井冬子の作品を如実に語ってるが、作品より作者が面に出過ぎて、観覧者の解釈の自由を妨げてしまっているのは致命的だと思う。
自分も平和主義を批判した絵が、左翼お得意の反戦を描いたみたいな曲解をされて口論になったことはあるが、パクチー盗まれたつるの剛士のツイートを曲解して「外国人差別だ」と騒ぐパヨチンはは論外としても、作品に関しては他人がどう思うかまでは変えられないので、表現の自由と同時に解釈の自由もワンセットだと思う。
松井冬子「世界中の子と友達になれる」展@横浜美術館を観覧。松井の作品が嫌いな訳ではない。図録も購入した。ただ作品に添えられている作家自身の文章が作品の自立性と鑑賞者の解釈の自由を妨げており致命的に邪魔。全て読んだが作者の独自言語が交わされる脳内を強制的に見れた様で気分が悪くなった
— 平林住職 #大珠院 24日より「限定御朱印配布」致し〼 (@Hirabayashi76) March 18, 2012
この記事書いたのは今から5年前になるが、松井冬子が美人画家として脚光を浴びたのはもう十年以上前である。
この記事書いてから5年間でいろいろな人からコメントをもらったが、頭おかしいとかこちらの容姿を中傷するようなコメントももらったので、やはり松井冬子のファンも残念な人ばかりだということがわかった。
大阪万博で再度脚光を浴びているせいか、今年もクソ※をもらったが、SNS全盛時代に昨年度で更新終了した個人ブログの5年前の記事にわざわざクソ※残すなんてひまな奴もいるもんだなと思った。
作家の質はファンの質で判断されてしまうが、作家本人がどんなに素晴らしい作品を作っていても、ファンが残念だと作家本人も残念な作家に見られてしまうものである。残念な美人には残念なファンしかつかないという証左に他ならないだろう。
松井信者の皆さんコメントありがとうね。あんたらのおかげで松井信者も残念な人ということがよくわかったわ(゚д゚)、ペッ
徹頭徹尾醜態を晒して幕を閉じたあいちトリエンナーレの『表現の不自由展』と同じ轍を大阪万博も踏むことになりそうである。
同じ理由で百田尚樹も信者が集団でアンチの元に押し寄せて集団で叩くという基地外ぶりを何度も目の当たりにしてるので、百円ハゲも思い切り嫌いになったわ。
百円ハゲの場合はエゴサーチで自分に批判的なツイートを晒しリツイートして信者を特攻させるので悪評が高いが、そうでなくともパクリのコピペ小説しか書けない小説もツイートも残念なハゲを好きになれる要素はひとつもない。
※ホスト:KD106166231024.ppp-bb.dion.ne.jp
ホスト:KD106156147031.ppp-bb.dion.ne.jp
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今後も悪意あるコメントには厳格に対処させてもらいます。
今年もこの再録記事にコメントくれた人がいたので、IP付の特別扱いで特別公開させてもらいまーす(´・ω・`)
おら、お前らだけ特別扱いでコメント紹介してやったんだから少しは感謝しろよクソが(゚д゚)、ペッ


5年も前の記事にコメントありがとうねー(´・ω・`)
嬉しくなっちゃったから、あんたらだけ特別扱いで、IP付で紹介させてもらうわー(´・ω・`)
何か去年と今年の荒らしコメントのプロバイダが同じだけどこいつら同一人物?
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節度あるコメントでも「あ」 とか「うわあ」みたいなふざけた捨てハンは削除させてもらってるから注意してねー(´・ω・`)
匿名希望の方は名前欄には何も書かないで投稿してねー(´・ω・`)
※最後の言葉は品性下劣な言葉が入っていたので伏せ字にさせてもらいました(´・ω・`)
ブログ開設してから5年間にもらったクソ※っていずれも松井冬子の記事なんだけど、松井冬子さんもずいぶんクソみたいに素晴らしいファンをお持ちのようですね。
松井冬子には特に何の恨みもないけど、ファンがクソだと本人も自ずと嫌いになるよね。
若くして死んだせいかやたらと美化されてるけど、似たようなパターンで尾崎豊も痛いファンばかりだったので、本人も嫌いになったわー(´・ω・`)
言論の自由を行使するのはいいけど、こちらにもコメントを選別する自由はあるので、節度あるコメントをお願いねー(´・ω・`)
それでは今日もおやすみっこ(つ=^ω^=)つニャン


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