今年度の抱負・理解できなくても尊重する

今年度の抱負は「理解できなくても尊重する」である。
他人を理解するのは難しい。男が女の生理や産みの苦しみや性犯罪への恐怖を理解できないように、女も男がチンコ勃たなくなる恐怖やチンコが無くなる恐怖を理解できない。発達障害者が定型発達者を理解できないように定型発達者も発達障害者を理解できない。
飛べる鳥が飛べない鳥が雨の日も泥にまみれて歩き続けなければならない辛さがわからないように、飛べない鳥も雨の日も飛び続けなくてはならない、飛べなくなったら死んでしまう鳥の苦悩はわからない。
人間はとかく自分が理解できないものを排除したがるものである。だから男は社会から女を排除しようとするし、定型発達者は発達障害者を排除しようとする。
その結果、日本には失業者が溢れ、女が子供を生まなくなり少子化が進み、日本は確実に滅亡への途を辿っている。
女が両性具有になれば自分を強姦した男のオカマを掘り返して女の屈辱を味わせてやることもできるし、女に暴力振るうクソッタレな男に頼らずとも女同士で子供が作れていいことづくめだと思うんだけど、男も子供が生めるようにでもしないと日本の少子化は絶対解決しないんじゃないかと思う。
男も両性具有になれば念願の女体も手に入っていいことずくめだと思うんだけど、女はイージーモードとか抜かす男はイージーモードな女に性転換して、男に食わせてもらうために男のチンコくわえたいとでも思ってるのだろうか。もしそうだとしたら自分も女になって男のチンコくわえたいと思ってる「女はイージーモード」とか抜かす男って真性の変態野郎だよな。
自分は理解はできないけど尊重できる関係というのが理想的ではないかと思う。
男女というか夫婦がまさにそのような関係で成り立っているのでないかと思うが、理解できないけど尊重する努力を忘れてしまうと齟齬が生じてしまうのではないかと思う。
自分も自分の障害への無理解に常日頃から憤りを感じているが、理解できなくとも自分を尊重してくれる人まで敵に回してしまうのは得策ではないので、そのような人たちを理解できなくても尊重したいと思う。
もっともらしいことをいってしまったが、やはり理解できないものを尊重するというのは難しいと思う。
発達障害の自分から見ても距離感のおかしい人というのは 発達障害の自分にも受け入れ難いものだし、こっちが徐々に距離を置こうとしてもずかずか近寄ってくるので、こっちもキレて最後は「二度と姿見せるな」といってしまったこともある。
それにしても距離感がおかしい人ってどうして自分が距離置かれてるのに気づかないんだろう。
距離置かれてるのにも気づかないから距離感がおかしいんだろうけど。
そういえば今日はエイプリルフールだったけな。
それでは今日もおやすみっこ(つ=^ω^=)つニャン
最近ツイッター界隈でも「男性器がついたトランス女性も女子トイレや女湯に入れるようにしてほしい」といったような論調の話題をよく見かけるけど、差別はよくないけど、身体の性別で区別は必要でしょ。
この手の男って自分の欲望優先で女のこと全然考えてないよね。心は女なんだから女子トイレや女湯入れされろとかいってる男とか見てると、心もしっかり男にしか見えないし、女から見ても到底同じ女として見れないよ。
この手の問題って男が普通と異なる男の存在を認めず排除するから、女側に受け入れろとかねじ込んでくるんじゃないかと思うけど、身体が男である以上は男側が受け入れるのが筋ってもんだろ。
面倒な問題を何でもかんでも女に押しつけるんじゃねえよ。
松浦大悟「手術しなくても性別移行できるのが世界の潮流。男性器の付いた女性でも女性更衣室に入れなきゃいけない。フェミニストが大反対。日本でそういう事が考えられずに野党案の議論が進んでる。温泉も入れなきゃ差別になってしまう」
— ちぢれ麺 (@chidiremen11) 2019年1月5日
堀口ミイナ「私は男性器が付いてて心が女性でも全然構わない」 pic.twitter.com/VkzgHIKxPb


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