我、常に死を思う

発達障害で中高年の独り暮らしともなると、どうしても自分が死んだときのことを考えてしまう。死後自分の身体が焼かれたら文字通り死ぬほど熱そうだし、死んでから自分の身体にウジがわいたらイヤだと思う。一番イヤなのが、生きてる内から身体にウジがわいたり、生きながら焼死することだろう。
孤独死は自分のような何にも秀でた能力も持たない社会不適応者の発達障害者の末路の最たるものだと思う。引きこもりの4人にひとりが発達障害者だというが、孤独死した人間も同じくらい発達障害者がいそうである。
人間は死期が近いと自分が死ぬのがわかるという。ただしこれは老衰などの自然死や病死なので、不慮の事故はこの限りではないと思う。
東日本大震災で津波に呑まれて死んだ犠牲者は、死の準備ができないまま死んだわけだから、さぞかし無念だったろうと思う。
自分より未来があった、ずっと若い人やずっと小さな子供が天災で死んでしまったのを見ると胸が痛くなる。
東日本大震災の被災地では霊の目撃談や怪奇現象が現在もあると聞くが、あれだけ多数の犠牲者が出てるのだから、霊のひとりやふたり出ていても何ら不思議はないと思う。
東日本大震災の犠牲者が、自分たちのことを忘れないでほしいと、生者に訴えているようにも見える。
死ぬ死ぬいってる人間がなかなか死ななかったりするのは、自分の死期がまだ見えてないから安易に死ぬ死ぬいえるのかもしれない。
だから自分は死ぬ死ぬいって他人の気を引こうとしてる人間は、あまり信用しないことにしている。
ガチで死にそうな人間は全力で励ますが、死ぬ死ぬ詐欺は全力で突き放す。
世の中にはやるやる詐欺とか辞める辞める詐欺など他人を不快にさせる詐欺がたくさんあるが、最も他人を不快にさせるのが死ぬ死ぬ詐欺ではないかと思う。
東日本大震災が発生してから毎年3月11日の地震発生時刻には黙祷しているが、やはり震災から8年も経つと周囲の関心も薄くなってるのは否めない。
東日本大震災以降も御嶽山噴火や熊本地震や大阪地震や西日本豪雨や北海道地震など、去年はワンシーズンに一度は災害に見舞われてると8年も前の東日本大震災への関心が薄れていくのも致し方ないことなのかもしれないが、東京でも死者が出ている以上は忘れてはならないと思っている。
ツイッターでは3月11日にこともあろうか被災地の郡山で原発反対デモやってる様子を公開してるツイートも見たが、死者を悼むどころか政治利用するパヨクの外道ぶりには心底反吐が出た。
そのツイをブログに貼って晒し者にしたろかと思ったけど、わざわざ不快なものを見せるのも自分の品位を貶めるだけなのでやめといた。
今回は自分のツイートで頂いた茨城県の方からのコメントを紹介させてもらいます。
東日本大震災の報道では殆ど目にすることが無かった茨城県の方の貴重な証言をご覧になってもらえば幸いです。
本当にそうです。
— muimui🇯🇵🇲🇴 (@exoticmui) 2019年3月12日
茨城には地方局がなかった為に被害の程度を伝えられなかった。
おかげでせっかく電気が復旧したと思ったら計画停電初日に停電の憂き目に。
鹿島港も津波が上がって酷い有様でした。
みーさん、拍手ゾロ目2222おめでとうございます\(^o^)/



時々フッと死にたくなることってあるよね・・・ッッと思った方はポチッとお願いします・・・ッッ
スポンサーサイト