友達の賞味期限

食べ物に賞味期限があるように、友達にも賞味期限があるように思うが、ASDの自分は定型発達者よりも人から飽きられるのが早いように思える。
要するに定型発達者よりも友達の賞味期限が短いのである。
最初は興味津々で自分に近づいてきた人も一年以内には自分に興味を無くして離れていってしまう。こういった人はいずれも女だったような気がするが、女は熱しやすく冷めやすいのかなと思う。
定型発達者の女は流行に敏感で熱しやすく冷めやすいように思えるが、それが対人関係にも当てはまるとしたら定型女は残酷な存在だと思う。
自分が思うに発達障害者の友達の賞味期限が定型発達者より短くなってしまうのは、ひとことでいってしまうと接点がないというか住んでる世界がちがうからだろうか。
定型発達者から見た自分のような発達障害者は、つきあいが長くなると定型発達者同士なら深まる親密度が、発達障害者に対してはつかみどころがないのがわかってしまい離れてしまうように思える。
最初は好奇心で登ってみたいと思って近づいた、ロッククライミングの難易度が高すぎて離れていくロッククライマーのようである。
そんなわけで定型発達者と住んでる世界がちがう発達障害者は、自分の身の上を弁えて、他人とは極力関わりあいにならない無味乾燥の不毛な人生に甘んじて生きていくしかない。
世の中には人間関係が重くなるとバッサリ縁を切ってしまう者もいるが、巷では「リセット症候群」と呼ばれてるらしい。
すぐに友人との交流に疲れてしまう重くなってしまう人間の特徴としては、空気が読めて気遣いができる完璧主義者だというが、自分の見解ではそういった人間はキャパシティが小さいのかなと思った。
他人との交流をを水に例えると、キャパシティが広い人間が一斗樽なら、キャパシティの小さい人間はコップ一杯分くらいしかないように思える。キャパシティが小さいということは、キャパシティの小さい人間のキャパシティは溢れやすく空っぽになりやすいということになる。溢れやすく空っぽになりやすいということは、すぐに人間関係が重くなってしまい疲れてしまい絶縁してしまう反面、淋しがりやで愛情に飢えているという側面も併せ持っている。
リセット症候群に陥った人間を見ていると、洪水と干ばつを繰り返す荒れ地のようである。最近中国や北朝鮮で洪水と干ばつが多発してるのも、燃料に木を切ってしまい山に保水力が無くなってるからだという。
他にも拒食と過食を繰り返す摂食障害の人間も思い出すが、実際に回避依存症と摂食障害は併発してるケースが多いと聞く。
要するに何事にも両極端で中間がないのである。
貴族の放蕩な生活と苦行の両方を体験したお釈迦さまは、弦の糸は弛んでいてもピンと張り詰めていてもいい音は出ないというのを見て中庸の概念を提唱したが、リセット症候群に陥ってしまった人間も拒食と過食を繰り返す摂食障害の人間も、楽器でいえば常にピンと弦の糸が張り詰めているように感じる。
リア友なら十年経っても昨日会ったように話できるのに、ワンクリックで切れてしまうネト友は虚しいと思う。

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