自分が嫌いな言葉

ブログの注意書を見ていると「不快なコメント」という言葉を目にするが、自分はこの「不快なコメント」という曖昧な言葉が死ぬほど嫌いである。何故かというと人によって何が不快なのか、自分にはまったくわからないからである。
ブログの注意書の「不快なコメント」というのを目にする度に、自分が脅迫されてるような恐怖を感じてしまう。だから自分は「不快なコメント」などという曖昧な言葉は絶対使わずに「発達障害に無理解なコメント」などとハッキリ明記するようにしている。
うつ病患者に「頑張れ」は禁句といわれているが、自分がいわれてイヤな言葉は「あなただけじゃない」「誰にでもある」「発達障害者じゃなくても」「~描かなくてもいいよ」という言葉である。
発達障害の悩みや困ってることをいったときに「悩んでるのはあなただけじゃない」「そのくらい誰にでもあるから気にしなくてもいいよ」「発達障害者じゃなくても誰にでもあるよ」といったようなことをいわれることは本当によくある。
身体障害者にそのようなことをいう人はまずいないと思うが、何で精神障害者とか発達障害者は身体障害者ならまずいわれないような的外れなことをいわれてしまうのだろうか。
自分もそのようなことをいった相手に「そういった言い回しはやめてほしい」といったら互いに気まずくなって物別れしてしまったことがあるが、自分がいわれてイヤな言葉や言い回しを、ハッキリ明文化してなかった自分にも責任はあったと思うし、自分にも到らないところはあったなーと思う。
互いにイヤな思いしかしなかったし、自分にとっても何ひとつ得るものがなく、自己嫌悪しか残らない苦い経験だった。
そういえば、こういったトラブルや行き違いはだいたい発達障害の記事で起きてるが、何故か発達障害の記事はトラブルが多いように思える。そもそも発達障害ブログそのものがトラブルが多いブログなわけだが、トラブルを無くしたいと思ったら発達障害の記事を載せないようにするしかない。ただ発達障害の記事が載ってないブログを発達障害ブログといっていいのか疑問は残る。
あと絵描きなら誰でも体験してると思うが、「~描くの大変だなー」とぼやいたときに「だったら描かなくていいよ」といわれてしまうと、絵描きの自分を否定されたような絶望感に陥ってしまう。
以前月末にやってた『今月の反省』コーナーも、当初は自分のバカを笑い飛ばすつもりでやっていたのに、こちらの愚痴やネタにマジレスする人が何人か出てきて段々笑い飛ばせなくなってしまったので、それで廃止してしまっている。
そんなわけでこっちの愚痴やネタにはいちいちマジレスしないで、笑い飛ばすか話半分で聞き流してください(>_<)
善意で他人を傷つける人は、笑顔で他人の足を踏んづけるようなものである。
踏まれた方は痛いけど、うっかり踏んづけてる方は踏んづけてることにも気づかないし罪悪感もない。
踏まれた方が相手が自分の足を踏んづけてることを指摘して退かせてもらえればいいが、踏まれた方が相手の足を退かすのにうっかり相手を転ばせてしまうこともある。
うっかり踏んづけたこともあれば踏まれたこともあるし、うっかり自分を踏んづけた相手をうっかり転ばせてしまったこともある。
踏まれた方も踏んづけて転ばせられた方も不幸だが、こうした不幸な行きちがいで自分は友達がいなくなってくんだろうなー(´・ω・`)

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