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100回突破記念企画第二弾ッッ!!宣戦布告ッッ!!アウトサイダーアート宣言ッッ!!

自称したら似非扱いされる
アウトサイダーアート

障害者は健常者の感動ポルノじゃないッッ

 まず世間一般ではアウトサイダーアートは自称するのも憚られる代物らしい。
 まあ実際、頭のイカれた障害者や犯罪者など社会不適応者のアウトサイダーが作った創作物の総称だから、社会から白い目で見られるのも当然だわな。
 頭のイカれた犯罪者やアル中やヤク中がラリって描いたような絵を、称賛する人間はまずいない。
 そんな連中と同じく、自分のような生まれつき頭がイカれた発達障害者の描いた絵もいわずもがなである。

 従ってそんなものを自称するのは、似非のやることらしい。

 荒れるので(既に荒れてるが)名前は伏せておくが、そいつらはてぶ民どもから自分は、お前は似非だのファッションでやってるだけだの、お前もインサイダー側の人間だとかボロクソいわれたことがある。
 たしかそいつは、LGBTのこともファッション呼ばわりしていたようである。
 彼にしてみれば、ゲイパレードもファッションにしか見えないのだろうか。

 ただマイノリティはマジョリティに押しつぶされないように、端から見れば奇抜に見えるゲイパレードでも、自己主張でも何でもやって、マジョリティの同調圧力に反発していかなければ、押しつぶされてしまうのである。

 彼らの頭のなかでは、自称する性的マイノリティも発達障害者もアウトサイダーアートもファッションで似非扱いになるらしい。
 要するに自分を感動させてくれない、自分を不快にする障害者は似非ファッション障害者といいたいようだ。

 性的マイノリティも頭のおかしい発達障害者も自己主張しないで、誰の助けも求めずに、ひとり淋しく悩んで、とっとと死ねというのが本音のようである。
 まあ実際、生産性が低い社会不適応者の発達障害者は社会では、完全に犯罪者と同じくらい白い目で見られているし、完全にお荷物扱いされてるしなあ。

 如何にも健常者視点の傲った考え方である。

 彼らにとっての障害者は、天使のように純真無垢で無心な存在でなければならないらしい。要するにてんすちゃん(^q^)アウアウアーである。
 彼らの頭のなかでは、そんなてんすちゃんが無心で作った創作物を、健常者さまがアウトサイダーアートとして認めて差しあげなければ、アウトサイダーアートとして成立しないようである。

 とことん健常者視点の傲った考え方である。

 インサイダーアートとアウトサイダーアートはある意味、男と女の関係と似ていると思う。
 女は男より劣ってて可哀想だから、男にしてあげましょう、といわれてるようなものである。男が女に対して面と向かっていえば、ほぼまちがいなく女への侮辱になる。

 男といってもピンキリだし、いくら自分より強い男でも、無職でウエストが120センチもあるクソデブの中年童貞のキモオタになりたいと思う女はまずいないだろう。第一これだけクソデブだとソッコーで早死にしそうだし。
 作業所の自分より二十も年下の平成生まれの男性職員も、ここまで酷い男は見たことないといっていた。

 要するに自分にとってのインサイダーアートとは、男が所望するものを何ひとつ持たない、無職でウエストが120センチもあるクソデブの中年童貞のキモオタと同じくらい醜悪な存在でしかない。
 お仕着せのインサイダーアートの枠に押し込められるのなど、こっちから金輪際お断りである。

 自分が現代アートのレッテル貼りをされるというのは、自分が男が所望するものを何ひとつ持たない、無職でウエストが120センチもあるクソデブの中年童貞のキモオタにされて、縛られた上に、ゴキブリを喰わされるのと同じくらい嫌悪感がある。 
 ゴキブリを喰わされる無職でクソデブの中年童貞にされるくらいなら、ゴキブリを喰わせる猫耳の美少女の方がいいと思うのが人情だろう。

現代アート(想像図)


 いくら女が男より劣っているといわれても、醜悪な無職でウエストが120センチもあるクソデブの中年童貞のキモオタよりも、猫耳の美少女の方がいいに決まってる

アウトサイダーアート(想像図)

 まず自分にとって、日本の芸術が西洋人からどのように見られてるかとか、西洋芸術より上か下かとか右か左かなど、どうでもいいことである。

 上でも下でも右でも左でもない。自分は自分の道を行くまでである。

 そもそも芸術という言葉自体、英語圏の「art 」の対訳である。明治維新以前は芸術という概念すら無かったわけである。
 明治維新以降に「芸術」という概念が生まれ、日本人が浮世絵を捨て、西洋の後追いを始めた時点で、日本から「芸術」は消えた。
 明治維新以降の日本は新しい芸術を何ひとつ生み出していない。明治維新と共に日本の芸術は終焉を迎えたのである。

 そういう意味では戦後の現代アートは、見えても実体のない逃げ水である。
 現代アートと称するものは、決して飲めない砂漠の逃げ水を求めて、砂漠をさまよう不毛な放浪に他ならない。

 岡本太郎の『明日の神話』で燃え盛る人々も、決して飲めない水を飲むことも叶わず死んでいった、虚構の芸術の殉教者に見える。

 そういう意味では日本人ほど芸術とは縁遠い民族はいない。
 日本では芸術などケツ拭く紙にもなりはしない。 


 声を大にして自分はいいたい。

 西洋の後追いにすぎない実態の無い形骸化した芸術になど、何の価値があるのかと。

 自分にとっては、野良犬である自分を去勢して現代アートの首輪をはめようとする連中こそ最大の敵であり、そいつらと戦うことこそがアウトサイダーアートである。

 敵がいてこそ成り立つのが戦いである。自分を既成の枠に押し込めて排除しようとする連中とは、断固として戦うまでである。
 敵をバリバリ噛み砕いて、自分の養分にして排泄するまでが、自分の最大のアウトサイダーアートである。心の過食嘔吐である。
 要するにアウトサイダーアートは、自分のような社会不適応者の障害者の排泄した汚物ともいえる。

 自分を似非扱いしたりファッション呼ばわりして、自分を去勢しようとするクソ連中とは、とことん戦うまでである。  

 自分の前に敵として立ちはだかる連中こそ、自分にとっての最大の創作原動力である。

最後にひとこと
はてぶ民って高尚ぶった左巻きのバカしかいねーのかよwww

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プロフィール

ASDponch

Author:ASDponch
地上最強の芸術の場外乱闘者を目指し日々孤軍奮闘する自閉症スペクトラム障害(ASD)ponchの自堕落な日常と、社会からはみ出したアウトサイダーの駄話を書いています。
最近はすみっこぐらしにもハマってます。すみっこ仲間絶賛募集中ッッ\(^o^)/

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