明日への神話~人は謳い人は哭く、大旗の前・総評

『明日への神話~人は謳い人は哭く、大旗の前』の自己解説。最終回は上下合わせての総評です。
この絵で描きたかったものはズバリ「断絶と対立」である。
上下の絵の間にはどうしようもない断絶がある。2枚の絵を合わせても決して1枚の絵にはならない。
天上と地上には断絶がある。女神と人間の間にはどうしようもない断絶がある。無力な地上の女は女神なんてなれないまま生きるしかないのである。
被災地と非被災地の間にはどうしようもない断絶がある。復興の途半ばの被災地に対して、関東地方の人々からは徐々に震災の記憶が薄れていっている。
日本の災厄を象徴する、妖怪の如く異様な女神たちと無垢な天使は相対的な存在だが、女神と人間は対立的な存在である。
無垢と邪悪。正義と悪。武力と無力。国粋主義と平和主義。死者と生者。さまようものと座礁したもの。翼を持つ者と持たざる者。巨大な者と矮小な者。具象と抽象。希望と絶望。記憶と忘却。固執と無関心。止まった時間と過ぎ去った時間。
総てに於いて対立するものを、稚拙ではあるがキャンバスに叩き込んだつもりである。
キレイで繊細な絵よりも、稚拙だが荒削りな方が生々しく訴えかけるものがあると自負している。
「今日の芸術は上手くあってはならない。キレイであってはならない。心地よくあってはならない」
岡本太郎のいってた言葉だが、この絵を描くに当たって、岡本太郎のこの言葉を胸に、キレイに描こう上手く描こうということは考えは捨て、ひたすら思ったままに描いた。
まさかゴジラ生誕の地である福島県が被爆地になるとは思わなかったが、この絵には『明日の神話』の作者の岡本太郎、自分にとっては神さま同然の石ノ森章太郎と円谷英二へ、稚拙ながらも精一杯のリスペクトを込めて描いたつもりである。

なお被災者の心情を鑑みて、あえて今回は生々しい死は描かないようにした。
偽善という人もいるかもしれないし、偽善かもしれないが、この辺はジョジョリオンの執筆にあたり、作者の荒木飛呂彦がいってた「極力、被災者をキズつけるような表現はしない」という配慮に、自分も準拠したつもりである。
石ノ森章太郎も宮城県出身だが、存命だったら同じことをいっていたのではないかと思う。
追記
福島第一原発事故のあった20キロ圏内の立ち入り禁止区域画像のリンク先を添付しました。ショッキングな画像もありますので、閲覧は事故責任でお願いします。
http://blog.livedoor.jp/fuji8776/archives/52166029.html
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