自分が一番正しい病

世の中には、自分が絶対正しいと信じてはばからない人間がいる。前回の記事にも上げたように、帽子のワッペンの柄が気に食わないというだけの話なのに、それを外国人がーとかウクライナがーとか国際問題まで持ち出して、自分の好みの問題を正当化しようとする基地害みたいな人間もいる。
中国が毒入り餃子事件を、政治問題を持ち出して正当化しようとするようなものである。
世の中には日の丸君が代が嫌いという人間もいれば、赤い旗や緑の旗が嫌いな人間もいる。キリスト教が嫌いな人間がいれば、イスラム教が嫌いな人間もいる。男が嫌いという女がいれば、女が嫌いという男もいる。ジョジョや刃牙が気持ち悪いという人間がいれば、萌えマンガが気持ち悪いという人間もいる。劇画が嫌いという人間がいれば、萌えマンガが嫌いという人間もいる。オタクが嫌いな人間がいれば、村上隆が嫌いという人間もいる。巨人が嫌いという人間もいれば、阪神が嫌いという人間もいる。犬が嫌いという人間がいれば、猫が嫌いという人間もいるし、猿がきらいという人間もいる。
人の数だけ嫌いなものがあるといってもいい。個人的な好みの問題でいちいち嫌いなものを排除していけば、何にも無くなってしまうのは自明の理である。
自分にいわせれば逆さ卍が嫌いというのも完全に好みの問題である。「逆さ卍が嫌いな人間」が人を殺した事例はあっても、「逆さ卍」が人を殺したという話は聞いたことがない。どちらが有害かは一目瞭然である。
自分が嫌ってるものに自分が似てしまうという現象はよく目にすることである。女が嫌いな男ほど女のように女々しいし、男を嫌いな女ほど男のように猛々しく暴力的である。反戦的な人間ほど好戦的だし、逆さ卍が嫌いな奴ほど、自分が嫌ってるナチと同じ排他的な人間である。自分と自分が嫌ってるものは鏡面ともいえる。自分が嫌ってるものから遠ざかりたいなら、完全に無関心になるしかない。マザー・テレサのいう「好きの反対は無関心」とはよくいったものである。
あのなツトムくん、キミが逆さ卍が嫌いなのは、自分が巨人が嫌いなのとまったく同じ完全に好みの問題だから。自分の好みを他人に押しつけるな。
お前が逆さ卍嫌いだからっつって、自分がその帽子被るのやめたからといって、ウクライナの紛争が収まるわけじゃないのよ。わかる?
文句があったら、作業所で300円のワッペンにグチグチ文句いってないで、スカイライナーに乗ってウクライナの紛争地域にでも行って、ブラックエンジェルズの松田の兄貴とか範馬勇次郎みたいに己の拳ひとつで紛争止めてきたらどうお?正義の味方の山口さんちのツトムくうん。男だったらそれくらいできるよね。お前のいう正しさとはそういうことだぞ。お前が自分の拳ひとつでウクライナの紛争とやらを止めてきたら、こっちはシャッポのひとつくらい脱いでやるよ。
こちらの帽子のワッペンが嫌いだから見るのもイヤというのがお前の正しさなら、自分の正しさはお前が気分を悪くすることだな。正しさなんていくらでも作れるんだよわかったかボケ。
お前の脳内ではこうでも


これが現実ですからッッ残念ッッッ!

スポンサーサイト